学会発表終わる
ああ終わった。ほっとした。間に合わないかと思った。いや、間に合わなかったのだが、原稿は完成しなかったのだが、少なくとも発表時間内に立ち往生はしなかった。
ひとつ前の発表者の聴衆が少なかったので、自分の発表のときもお客さん来てくれないだろうな、と思っていたが、意外にきてくれた。知り合いも多かったわけですが。國重さんをはじめとして、よくぞ来てくれたという人も何人かいた。國重さんは血色がよかった。相変わらず具合はよくないそうだ、心配だ。
発表の準備をしていたこの十日間は緊張もしたが密度の濃い時間だった。聞いていたひとはまさか十日で準備をしたとは思うまい。自信作だった。
それにしても、この高揚感はなんなんだ。鬱々としていたかつての日々が嘘のようだ。
『オクラホマ!』論文が仕上がらないというか書く気になれずに悩んでいた九月はなんだったんだ。
ようするに、原稿を書くしか私には救われる道はないということだ。
それも書きたいと思ったときに書き上げないといけない。『オクラホマ!』論文で学んだ教訓だ。四十過ぎてそんなことがわかるなんてアホか、という話だが。
私の核の部分は決して社会化されない。私は、やりたいことしかやれない。やるべきことが他にあるとわかっていても、やりたいと思わなければやれないのだ。
たんなる我が儘なのだが、しかしその我が儘に振り回されるのは誰よりも自分である。
まあ周囲も振り回されているんだろうが、この私の苦しさに比べればなんてことはないだろう、と思ってしまう。
怠けるのは倫理的にいけないとかではない。自分の精神衛生上よくないのだ、ということが今回ほど身にしみたことはない。
この余勢を駆って、『南太平洋』発表原稿を仕上げよう。それから三越劇場英語論文。戦時演劇研究特集号用の紀要論文二本。『忠義』論文。そして博論。
三月までひたすら書き続けるしかない。
それにしても、福岡にきて博多なまりを聞くと自分の柔らかいところが刺激されてまいる。
タクシーの運ちゃんの何気ない言葉遣いに自分の子供時代の記憶がよみがえる。祖父が使っていた言葉だ。祖母が使っていた言葉だ。
空気の質感までが懐かしくなる。行き交う人々の表情まで愛おしくなる。
自分には故郷はないと思っているのだが、魂のふるさとは福岡に、鳥栖に、中原にあるのだなあ。
そんなわけで由布院にいくぞ。温泉でしばしの休息だ。