アメリカっぽいできごと

なんと10年ぶりのエントリーだ。Twitterだと長くなるのでどこに書こうと思って少し悩んだが、話題的にはここがしっくりくる。

 

先日、研究室からの帰りにクロネコヤマトの営業所に立ち寄り、宅急便を出した。そのとき応対してくれた中年の女性店員が、すぐ外に止めてある私の自転車のライトが「すごく明るくてかっこいいですね」と話しかけてくれた。

 

私はこういうとき照れてしまってあまりうまく反応ができない。そのときも「いや、これ明るくていいと思って買ったんですけど、すぐバッテリーがなくなるんですよ。充電式なんですが、一週間に一度以上充電しないといけない」と世間話モードにしては詳しすぎる情報をベラベラと喋ってしまった。

 

その女性はそれを聞くと頭を振って、「いやあ、私は明かりがついてる、ってわかるだけで十分。おまわりさんに止められて怒られないのであればいいわ」と噛み合ってるんだか噛み合ってないんだかわからない返答をした。

 

で、にこやかに笑いあって私は営業所を出ていったのだが、家路に向かって自転車を漕ぎながら、ああ、これ、アメリカっぽいな、アメリカで何度も遭遇したパターンだな、と思った。

 

どこがアメリカっぽいか。そもそも店員が業務以外のことで客に話しかけてくるのが日本ではめずらしいが、だからと言って全くないわけではない。

 

ただ、客とのコミュニケーションをとるのに、客のアイデンティティと密接に結びついた属性を褒めるのではなく、ほとんど関係のない属性(ここでは自転車のライト)を褒めるってのがアメリカっぽい。言うまでもないが、「美人だね」「いい男だね」はおろか、「その髪型格好いいね」「その靴素敵だね」でも客がキレて訴えると騒ぎ出す可能性があるところなので、アメリカの店員は客を褒めるのに慣れているとはいえ、かなり変なことを褒めてくる。たとえばトートバッグとか傘のように、あきらかに持ち主が気に入って買ったわけではなくたまたま手近なものを持ってきたようだ、と判断できるものを褒めてくる。

 

次に、返答で「自分語り」してしまうところ。客に話しかけることで距離を詰めてきたのに、いつの間にか自分のもといた位置にスッと戻って、自分の話に変えてしまう。これもアメリカでは店員によくやられた。私の経験でいうと、これをよくやるのが黒人の気のいいオバちゃんふうの店員。頭の振りかたも既視感がある。まるで自分の人生にはいいことないよ、と言っているかのように軽い絶望を込めた頭の振りかた。なんなんだろう、あの年季の入った頭の振りかたは。

 

「自分語り」になるのは、要するに相手とコミュニケーションをこれ以上続けたくない、という無意識に抱いている気持ちの表明でもある。上っ面だけでは他人とつながろうとするが、本気のコミュニケーションはなかなかとらないのが大多数のアメリカ人の心性というべきものだ、ということが実感できるまで、私は時間がかかった。店員が話しかけてくれるものだから嬉しくてこちらが反応すると、これ以上お前と話したくない、という含意が伝わってくる自分語りをされて、アメリカで暮らし始めた頃は内心傷ついていた。俺の英語が下手だから、向こうにきちんと伝わってないのかな、とも思ってた。そうではなく、それがアメリカ社会のコミュニケーションなんだってことを理解するには時間がかかった。

 

そんなことを思い返しながら、なんかアメリカぽかったな、日本の社会もアメリカみたいに上っ面のコミュニケーションは大事だ、とみんなが無意識に思うようになってきたのかな、と思った。