ラスト・サムライ

ラスト・サムライ」をロバちゃん、浜垣姉、のり子さん、みっちゃんと五人で見に行く。下の写真ではこの名前の順番に並んでいる。南北戦争の勇士であるトム・クルーズはインディアン掃討にも参加していてそのときの悪夢にさい悩まされているという設定。明治政府の「弾圧」のもと、滅びていく「サムライ」がアメリカン・インディアンの高貴な野蛮さに重ね合わされるわけだ。しかし西南戦争をはじめ不平士族の乱は、元特権階級が既得権を奪われたために起こした叛乱であって、先祖代々の土地を奪われたといっても、その土地で彼らは農民を搾取していたわけである。アメリカン・インディアンの悲劇的運命を重ね合わせるのは傲慢というものだろう。監督はハーバードの東洋学科を出ただけあって、渡辺謙たちが住む土地が南朝の根拠地・吉野になっていたり(そのわりには富士山らしきものの麓にあるのだが)、日本人の判官贔屓が育んできたさまざまな物語を知っているようだが、いくら悲劇的に描かれようと彼ら封建地主のもとで農民が苦しめられてきたことは変わりない。映画で描かれるアメリカと日本のつきあいはもっぱら武器弾薬の売買を通じてであり、インディアンを滅亡に追いやったかつてのアメリカへの批判だけでなく、現在のアメリカの軍事産業への批判にもとれる。日本政府側の悪役、大村もまた、口では国家のためといいながら私腹を肥やすという設定で、ブッシュ政権の中枢における石油利権の人脈を思い起こさせる。
結局は、日本人という他者の表象を描いているようで、他者という鏡に映った自分たちアメリカ人を描いているにすぎないわけだが、殺陣もよかったし、黒沢ばりの人馬一体の戦闘シーンもよく描けていたからよしとしましょう。
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