なんだかなあ

平田オリザと北川達夫による対談『ニッポンには対話がない』を図書館で借りて、ざっと読む。

半ば予想していたことだが、おどろくほど中身がない。というかこの二人の「対話のなさ」に脱力する。とくに北川さんは自分の言いたいことを言っているだけ。相手の発言に接ぎ穂を見つけることはできても、対談によって自分が変容することを最初から拒絶しているような語り口。そこにあるのは予定調和でしかない。

北川さんは中学高校の音楽部の先輩だ。色々やっているということは聞いていたが、読むのははじめてだ。

やはり音楽部の先輩だった伊東乾もそうだが、どうしてこう物欲しそうにしているのだろう。一言一言が「売れたい」「ちょっと変わったことを言って耳目を集めたい」という浅ましい気持ちの変奏なんだよなあ。

若かった頃は、それぞれ自分が本当に面白いと思うことを追求していたと思うんだけどね。いつの間にか「人が面白いと思いそうなこと」を先回りするだけで、本当は自分はちっとも面白くなさそうにしているのはなぜなんだろう。

たぶんどちらも、啓蒙の概念を間違って刷り込まれてしまったんだろうなあ。この人たちにとって、啓蒙とか教育とかはまず自分がする気持ちがいいもの、それで聞き手もすると気持ちがいいものだと思っているんだけど、啓蒙とか教育ほど退屈なものはないだろう。

やはり図書館から借りた三田完『当マイクロフォン』は面白くて一気に読み通した。とはいえ、感傷癖が多少鼻につくきらいもあるが。

サブカルも遠くなりにけり。戸川昌士『古本パンチ』は、分厚いこともあり、読み通すことが難しい。知らない固有名詞がたくさん出てくるのでインターネットで調べながら読む。そんな読みかたをするのは野暮だとわかっていてもまだこちらの世界のことを知っておきたいという。