十月大歌舞伎と平成中村座見終える。

先週の金曜日は歌舞伎座で十月大歌舞伎、月曜日は平成中村座でABプログラムで『忠臣蔵』通し、金曜日に『サド侯爵夫人』をはさんで土曜日に平成中村座Cプログラムを見て、ようやく苦行を終える。

体力がないからこの程度でも疲れてしまう。木曜日は非常勤を休講してしまったし。

『魚屋宗五郎』、菊五郎江戸前のさらりとした宗五郎を見せてくれてよかった。

忠臣蔵』の通しだが、いろいろある。

勘三郎のメロドラマ的体質は『忠臣蔵』の観念美の世界には合わない。早野勘平にしろ戸奈瀬にしろ、所詮人形浄瑠璃という作り事のなかの登場人物で、観客は彼らの運命に涙するというよりも、きわめて精巧に作られた感情の劇を自分たちが疑似体験できたことそのものに感動する。『忠臣蔵』のカタルシスとは、複雑なパズルが解けたときの快感なのだ。ところが勘三郎が演じる勘平も戸奈瀬もまるで生きているかのような「自然な」人物であり、この作品が本来持っているドラマとしての奥行きを観客は感じられない。

仁左衛門も一昨年歌舞伎座でやった寺岡平右衛門がベストだったなあ。大きい役をやると、幸四郎のコピーといっては悪いが幸四郎と変わらなくなる。つまり歌舞伎の大きい役というのがワンパターンでしか了解されていないということなのだが。

『サド侯爵夫人』のパンフレット、惰性で買ってしまって一瞬後悔するが、橋本治の対談が収められていて、その発言を読むだけで一二〇〇円の価値はあった。三島戯曲の演出についてさまざまな示唆に富む発言をしていたけれど、今回の公演はそれを生かしていない。可哀想なくらい才能のない演出だった。篠井と加納の歌舞伎ばりの発声と身のこなしによる二幕後半の掛け合いを見られたことは幸福だった。