恥ずかしい

The Wooster Groupの『ハムレット』をブルックリンのSt. Ann's Warehouseに見に行く。

1964年にRichard Burton主演で上演された『ハムレット』は、17つの異なるカメラで撮影され、編集されて合衆国中の2000の映画館でたった二日間だけ上映された。生の舞台中継を同時に何千人もの視聴者に見せるというこの試みは"Theatrofilm"とよばれて喧伝されたのだが、フィルムは紛失したと考えられていた。

ところがウースターグループはこれを見つけ出し、大部分が残っていたフィルムを舞台上に写し出して、ときには早送りをしたり、止めたりしながら、そのフィルムで演じているバートンらの演技を真似する(早送りにするところは早送りで話す)という演出で上演した。

率直に言って、アイデア倒れの観は免れない。最初は面白く見ていたものの、次第に飽きてくる。俳優はもちろん大時代がかったバートンらの演技を真似して見えることでその滑稽さをあぶり出してみせるのだが、それだけを延々三時間やられても興味が持続しないのだ。

それと同時に、年をとったせいか、時差ぼけが時間差でくるようになり、その晩は眠くてたまらない。

というか、実際に何度か居眠りをした。『ハムレット』の台詞はほぼ覚えているので、どこの場面かはすぐにわかるのだが、ときどき記憶がとぎれて、あれ、いつの間にかこの場面になっている、ということが何度かあった。

劇場で居眠りすることは、大変失礼なことだとわきまえているが、それだけでなく、幕が下りて拍手をし終わって立ち上がったときに、うっかりして携帯電話を落としてしまった。

他の観客が去るのを待って座席の間を探したのだが見つからない。どうやら椅子の下にくみ上げた平台の隙間に落ちてしまったようだ。

しかたがないのでそのことを劇場のスタッフにいう。するとたぶんElizabeth LeCompteじしんが対応してくれた。若い男性スタッフが平台の下に懐中電灯を片手に降りて一所懸命探してくれている。この段階で穴があったら入りたい、という気分だった。

結局見つかってお礼を言ったのだが、向こうはなんだかぶすっとしていた。

いや、たぶんそれなりに時間がかかって大変だったからむすっとしていただけだったと思うのだが、ひょっとしたら居眠りしているところを見られていたのではないか、という思いに駆られる。

そしてこれもたぶん気のせいだが、ある場面でHamletを演じていたScotto Shepardはその直前まで目をつむって寝ていた私のほうを睨みながら演技しているように思えた。

「俺たちが一所懸命作った作品をろくに見ないで迷惑だけかける日本人」と思われたのではないかとこの年になっても自意識過剰気味の私は気になってしまう。

そんなわけで、今日の観劇はとても恥ずかしい思いでいっぱいだった。かえりにいまいちばんホットなスポットといわれているDUMBOをひとめぐりしてこようか、などという行きがけの軽い気持ちはすっかり忘れていた。

そうそう、劇場では母校のマーヴィン・カールソン教授に会った。挨拶を軽くしておく。しかしニューヨークの劇場に年に一、二度いくだけの私が彼によく会うのは必ずしも偶然ではなくて、それだけあの人が芝居を見ているからだろうなあ。