ニューヨークへ帰ってきた

今回は物理的にはともかく、心理的には待つという感覚をほとんど味わうことのないままニューヨークまで来てしまった。成田エクスプレスの中では寝ていたし、空港に着いたらコンチネンタル航空のエリート会員専用のチェックインカウンターでほぼ待たずにチェックイン(といってもエコノミーも空いていたのでそれほど得をしたという感じではなかったのだが)。待ったのはチェックインカウンターに入る前に荷物検査をするところと、北ウィングのところだけ。北ウィングはすごい行列で、時間がかかったので出国手続きを終えてのんびりオレンジジュースなどを飲んでいたらあっという間に所定の搭乗開始時刻になる。おそらく時間通りにははじまらないだろうと思いつつゲートに急ぐ。30分遅れになることを確認してそばの売店ブルースカイで買い物。なんとここはJAL直営なのでJALダイナースで買うと一割引なのだった。成田空港第二ターミナル駅を出たところで空気で膨らませる携帯の枕を1200円で買ったのだが、これもここで買えばよかった。機内で読むための週刊文春を買った後に、バッテリーの切れた携帯を充電しておこうと急速充電用バッテリーを買うために再び並ぶ。ここで少し時間がかかった。ビタクール社のターボスターターというもの。売価580円の一割引。しかしいつまでたっても充電されず、携帯の電源を入れるたびに電池切れのブザーが大きな音で鳴る。ついに離陸前に使うことを断念。機内でもう一度チェックしたら逆向きに差し込んでいたことがわかった。しかし最初にこの向きで入れていた時には入らなかったのだが。それでも、これで帰国時にすぐ連絡できるようになったと自分をなぐさめる。
そんなこんなですぐ離陸。機内は結構空いており、三列がけを一人で占領。枕は空気が中々入らず膨らまなかったが、つけると快適だった。配られた日経の夕刊にざっと目を通し、週刊文春を隅から隅まで読み、食事をし、iPod桂枝雀の落語を聞き、椅子を倒して眠り、食事をし、
今度は横になって眠ったらもうあと三時間。スチュワードが"We're almost there."なんて客席の婆ちゃんたちに言っている。この段階でようやく水村美苗の『私小説from left to right』を読む。ニューヨークが、アメリカが、いやでいやでたまらなく、幼い記憶に残る日本と日本近代文学にあこがれるけれど本当の日本には幻滅もする日本人姉妹の物語。自伝的要素は多いのだろうが、大いに身につまされて泣く。夢中になって読んでいたら朝食が運ばれてきて、食べ終えてまた読んでいたらあっという間に着陸。プライオリティハンドリングのタグを荷物につけたから早く出てくるはずだが、案の定、前回に引き続きイミグレで引っかかる。前回と同様、別室にご案内〜。この前は二時間近く拘束された。向こうは何が問題なのかわからないのでパスポートやI-20のおかしなところを懸命になって発見しようとするのだが、おかしなところなんてないのだ。だから余計に時間がかかる。今回は新しいI-20を発行してもらった理由をこちらから自主的に説明。すると意外にもすぐに放免してくれる。この間約20分ぐらいか。あわててバッゲージ・クレイムに行くとまだ同じ便の乗客たちが自分たちの荷物が出てくるのを待っているところだった。この前は誰もいなくなったバッゲージ・クレイムで一つ放置されているスーツケースをピックアップしたものなあ。すでに出てきている自分のスーツケースを持って、ニューアークからのバスに乗る。片道12ドル。往復は19ドルのようだ。ニューアークからタクシーでチップ込みだと60ドルかかることを考えるとたしかに安い。途中の道はそれほど混雑していなかったが、ポートオーソリティのバスターミナル直前の交差点と、バスターミナルに入ってからが大混雑。ここだけで1時間近くロスしたのではなかろうか。さらにポートオーソリティからタクシーに乗ろうとしてさんざん待たされる。荷物も軽いことだし、バスで帰ろうかと思ったがやはりこの大きなスーツケースを持ってバスに乗るのは躊躇われる。15分ぐらい待ってようやく乗り込んだタクシーでは運ちゃんが黒沢のサムライ映画と西部劇の類似点について延々ぶつのでいい加減に相づちを打ちながら聞き流す。家までチップ込みで6ドルやったのは少々張りこみ過ぎか。それでもトータル18ドルだから、二時間半の時間と荷物の重さが気にならなければバスを使えということだ。



セカンドベッドとダイニングテーブル。コンピュータをここにおいて原稿を書いている。table.JPE