『レイジング・ブル』と「七段目」

レイジング・ブル』は初見。廉価版DVDが発売されたのを機に見る。当時は黒白のドキュメンタリー仕立てというのは、斬新で実験的な手法だったのだろうが、いまとなってはありふれたものであり、それ以外にあまり見るべきものはない。ユダヤ人蔑視・女性蔑視という隠れた主題は同じスコセッシ=デ・ニーロコンビの『ミーン・ストリート』『グッドフェローズ』と通底する。主人公のジェイク・ラモッタは食事の準備に時間がかかるといって最初はユダヤ人の同棲相手(いつの間にか消えてしまう)、それから妻を何度か罵倒するのだが、この役のデ・ニーロにはまだ知性が残っており、そんなことをするような男に見えないのが難点か。冒頭で示唆されたとおり、ラモッタは舞台に立つ俳優として再出発することを暗示して終わるのだが、その結末もちょっと納得がいかない。

なんとなく消化不良を感じて『歌舞伎名作撰』DVDの「七段目」を続けて見る。一九七七年十一月歌舞伎座の収録。先代松緑の由良之助、先代幸四郎の寺岡平右衛門。由良之助の松緑はまずまず、ということは生の舞台ではよかったということだろう。寺岡平右衛門は先日舞台で見た仁左衛門のほうがニンに合っていると思う。幸四郎だと重々しくて、足軽という感じがしない。仁左衛門の軽みは貴重だという感をますます深くする。

おかるは歌右衛門。遅れてきた歌舞伎ファンとしては歌右衛門の魅力がどうしてもわからないのだが、最近毎月見続けて多少は歌舞伎への理解が深まったかなという自負はあるのだがやっぱりわからない。たんに気持ち悪いだけだ。まあそれでも全体として面白いと思えるようになったから多少は進歩かな。