カフリンクスが買えない

昨年末にインフルエンザとそれに誘引されて起きた喘息および気管支炎に苦しみながらも、若林シャツでシャツを二枚オーダーしたのができあがってきた。受け取りにいったとき、これが二回目の注文にもかかわらず、「毎度ありがとうございます」と言われてちょっと優越感を味わう。完全オーダーで極上の生地を使ったシャツが15000円前後でできるんだから吉祥寺およびその周辺住民であれば使わない手はない。ただし、ボタンまでは選べないので、ボタンにこだわる人は持ち込む必要がある。

で、今回は初心に立ち返り両方ともダブルカフスにしたのだが、さてこれらのシャツに似合いそうなカフリンクスがない。今回こそ買い足そうと考えて、吉祥寺伊勢丹が折よく閉店セールをやっているので覗いてみたがまず人いきれに辟易し、つぎにジジくさいデザインのカフリンクスしかないことに失望する。今時カフリンクスにこだわる奴などオヤジでしかないのだね。ネットで売られているデザイン性の高いものは一組2万円とかするから、さすがに買えないし買いたくない。そうすると買えるものは限られてくる。

日曜日に家族でジブリ美術館に行ったときまっくろくろすけカフリンクスを買えばよい、と妻に勧められたが、材質を考えるとあの値段は高すぎる。ポニョが中に入っていて泳ぐというものがでたらそれなりに高くとも買うけどな。

というわけで今回も買えなさそう。1月末には都民共済で作ったチェルッティのスーツもできあがってくるというのに。ちなみに都民共済ではチェルッティのフルオーダーで裏地もチェルッティ、ピックステッチなどのオプションをすべてつけても信じられないような安い値段で買えます。以前やはり都民共済で作ったチェルッティのスーツを着ていたところ、同じ学部の森さんに「高そうなスーツですね」と言われ、「はい、高いです」と思わず見栄を張って答えてしまったことがあった。チェルッティの生地は高く売られていることが多いけれど本当はみなさんが着ているスーツよりたぶん安いです。

和田秀樹の声

和田秀樹という教育評論家だか受験のカリスマだかなんだかという人がいる。私が尊敬する二人の人物(一人はアカデミシャンでもう一人は非大学人だが教育関係者)が和田秀樹を直接知っていて二人とも「あいつはダメだ」「情けない奴」という評価を下しているのでそうなんだと思う。

だけど iTunes Store でプレビューできる、とあるオーディオブックに収録されている講演のなかで、和田秀樹はじつによい声で話すのだ。落語家のようなべらんめい口調が少し入り、緩急の調子をつけて息を余り継がず一気に語っていて、つい聞き惚れてしまう。録音のしかたもよいのだろうが、こういううまい話し方をする人というのは私は無条件で信用してしまうという悪いクセがある。だからといってそのオーディオブックを買うところまではいかなかったけれど。

なんでそんなことを思い出したかというと、妻が蔭山英男と和田秀樹の共著『学力をつける100のメソッド』を図書館で借りていたのを先ほど発見したから。本当にこれで小学生になれるのだろうかという娘の幼さに妻も悩んでいるのだなと同情した反面、教育の専門家は家庭内にいるだろうと文句の一つもつけたくなるね。

一月歌舞伎・雀右衛門休場。

インフルエンザの高熱を押しての苦しい観劇はついこの間のことなのに、今月はもう歌舞伎座

Sheevaplugと同時にこれも年末に衝動買いした無線LAN内蔵モバイルWiMAXルータAterm WM3300Rが前日に届いた。さすがにSheevaplugはセットアップに最低でも丸一日はかかるので、少し仕事をしてからのご褒美にとっておくことにし、簡単なAterm WM3300Rのセットアップだけしようと思ったらはまった。

VmwareのうえでWindows XPを動かすほうが悪いといえば悪いのだが、まず、アップデートしたらVmware Toolsもアップデートされるらしく、時間がやたらにかかる。しかも、アップデートのあいだはほとんど他の作業はできない(これは非力なMacbookで動かしているせい)。

ようやく普通に動かせるようになったと思ったら、なんとAterm WM3300Rが電波を掴まない。やられた。これも年末、トライWimaxでOKIのUD01OK/UG01OKを借りたときには、自宅のどこでもつながったのだが、このAterm WM3300Rは全くつながらない。真夜中自宅の外に出てみるとわずかに微弱電波をつかまえるが、サインアップできるほど強くはならない。そうこうしているうちに3時近くなったのであきらめる。2ちゃん情報ではAterm WM3300Rのアンテナは貧弱だそうだが、これではあまりにもひどい。不良品なのか、自宅外で試してみる必要がある。

そんなわけで翌日の歌舞伎座はお約束通り寝坊。今月と来月は一等席なんと二万円なのに、一時間半遅れる。「石切梶原」最後の五分だけ見て幕間。なんという愚かなことを毎回しているのだろう。そのあと「勧進帳」は久しぶりの団十郎。昨年二月に吉右衛門菊五郎梅玉でやったのは、九月の幸四郎吉右衛門染五郎をやるための布石と考えられるだろうが、さらに四ヶ月後に団十郎梅玉勘三郎でやるとは。建前的には歌舞伎座さよなら公演だから、ということなのだろうが、ほんとうは団十郎危ないから今のうちにやっておこうということではないか。海老蔵が結婚するのも、団十郎が死ぬ前に子供を作っておきたいからかもしれないし。

そんなふうに見ているせいか、団十郎の弁慶なんだか覇気がない。最後の飛び六法はなんとかこなしていたが。梅玉の富樫もニンがあってない。私は大の梅玉ファンで、この人の義経は大好きなのだが、残念ながらいい人過ぎて、迫力に欠ける。勘三郎義経は十八年ぶりだそうだが、予想通りよくない。義経はたしかに取り澄ましていなければならないのだが、それはニンとして出てくるべきであって、「取り澄ましている」という演技で片付けてはいけないのだ。いつものように、自分の演技力を過信するよくないくせが出ている。

「松浦の太鼓」、吉右衛門の松浦、歌六の其角、梅玉の大高源吾。この話は参照枠となっている「忠臣蔵」と一緒に上演されるか、少なくとも観客が「忠臣蔵」を強く意識していないと面白くない。ヘンリー・ジェイムズの小説にも通じる、複雑怪奇な人間関係の中で生きていく難しさが描かれる「忠臣蔵」の外の世界には、はるかに単純な生を送る松浦鎮信のような(つまり観客の私たちのような)脳天気な人間もいることが示される。運命に挑戦し、運命を出し抜くために命を削ってきた男たちに自分の身分も忘れて無邪気に喝采を送る松浦の人生が、赤穂浪士の一人として紆余曲折を経てきた大高源吾の人生と一瞬交錯する、その瞬間を描くというのは、つまり観客と劇中の登場人物による会話を描くことと同義であり、ピランデルロ的なメタシアターがそこに出現する。だが今回の上演はもちろんそこまで掘り下げて演じているわけではなく、わずかにその可能性を垣間見せただけに過ぎない。

夜の部は雀右衛門のための新作舞踊「春の寿」。二年ぶりの雀右衛門で、おそらく今回が最後の出演だろうと思っていた見ていたら、せり上がってきたのは魁春。最初はずいぶん雀右衛門魁春に似ているなあ、と思っていたらかけ声屋さんが「加賀屋!」とかけ声をかけたのでようやく理解する。雀右衛門が休演するというニュースは二日に新聞に載っていたらしいが、知らなかった。だがそれにしても、雀右衛門が演じる予定だったのは女帝で、議論かまびすしい天皇の継嗣問題に松竹が立ち入った見解を示したようにも見える。

「車引」吉右衛門の梅王丸、幸四郎の松王丸、芝翫の桜丸、富十郎の時平。これは久しぶりによいものを見た。芝翫の初役桜丸はさすがに疑問符がつくが(荒事の格好をしていると芝翫の背の低さが目につくこともある)。他の三人が圧倒的に素晴らしい。とくに富十郎の時平は、この人しゃべらないでにらむだけだと本当にすごいのだなということがよくわかる。

道成寺」は勘三郎白拍子勘三郎女形もだめだ。女形に必要なナルシシズムがこの人にはない。良くも悪くも醒めている人だから、「私を見て、綺麗でしょう」という女形が必ず発するメッセージが勘三郎からは聞こえてこないのだ。自分が自分に酔えなければ観客も酔えない。「女形の演技」を巧くなぞるだけでは女形にはなれないのだ。

「切られ与三」、染五郎の与三郎は数年前の海老蔵よりはずっとましだが、まだ台詞が浮ついている、粋じゃない。彌十郎の蝙蝠安は初見だが、左団次や三津五郎よりはずっと頭を使って演技をしているのが印象に残る。マナリズムに流れずに型を演じることは難しい。そういう意味では、福助のお富がいちばんよくできていたか。しかしこの作品はこれぞというメンバーで見たことがない。羽左衛門のテープって国立劇場かなんかに行くと見られるのかなあ。

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。年賀状をくださったかたがた、お返事を先ほど投函いたしました。毎年のことですが失礼を致しました。

インフルエンザにかかって直ったと思ったら風邪を引き、さらに久しぶりの喘息になっていたようです。微熱とひどい咳が続き、体調最悪だったので数年前に処方された吸入薬を使ってみたところ、嘘のように体調がよくなりました。もっとも、咳のしすぎで体力がなくなっており、まだ体に力が入らないし、あちこちが痛みます。

昨年12月28日に大変衝撃的なことを聞かされて、わりと尊敬していた人が全く言い訳のきかない、愚かな行為をしたということを知り、精神的におかしくなりました。

その夜は中清にて恒例の面子が集まり楽しく忘年会を行い、そのときはなんとかやり過ごせていたのですが、なるほど、ショックは時間差でやってくるのですね。私じしんは全く被害に遭っていないのですが、代理的に(vicariously)トラウマを生じたのか、眠れなくなりました。

それでもなんとか翌日、修論提出の迫っている学生との面談をすませて、自宅に帰ったあとは、寝込んでしまい、食事やトイレ以外はすべてベッドにいるという自堕落な生活を送っておりました。精神的衝撃を受けたからだけではなくて、どうも風邪を引いているようだということがわかったのが30日です。31日までそういう状態が続きました。

しかしそういうときにこそというか、なんというか、iPhoneをいじり倒しておりました。これは私の業です。男は中年過ぎると酒か女か賭け事に狂うといいますが、私はやはりコンピュータに狂っているのです。とはいえ、このところしばらく忙しくてコンピュータいじりをやめていたのですが、12月の忙しいさなか Marvel社の電源コンセント型コンピュータ Sheevaplugを米国から輸入したり、無線LANルーターFONERA 2.0nを購入するなど、少しずつ狂いはじめ、休みに入ったら本格的に目覚めてしまったようです。

iPhone 3Gに割り当てられていた番号はすでにMNPdocomoN-06Aに変えていました。そこでblackra1nをダウンロードしてiPhone 3Gを脱獄(jailbreak)させ、SIMフリーの端末にし、b-mobile 3GのSIMを差し込んで、無線LANが使えないときもデータ通信だけはできるようにしました。もともとb-mobileですから音声通話はできないので、これで十分です。いちおうテザリングもできるようにもしました。そして自分用のアプリは最低限のものを入れて、あとは娘が夢中になっているゲーム類を揃えました。娘用の端末とはいいませんが、それに準ずる扱いです。

jailbreakした端末用のアプリではそれほど魅力的なものはありませんでしたので、BackgrounderとBosspaperぐらいをインストールしただけです。

一方、新しくdocomoからのMNPで手に入れたiPhone 3GSにさまざまなアプリを詰め込みました。

iPhone 3Gとは違ってアプリの起動などが速い、全体的に動作はきびきびしていると聞いていたのですが、そのことにはそれほど感激しませんでした。ただ、インターネットの接続速度が倍近く違うのはびっくりしました。speednetのアプリがあったので比較してみたのですが、無線LANだと2倍、同じSOFTBANKのSIMでも2倍近く速度が違います。

バス停の時刻表を再現するアプリ busstop のデータを作成したり、1PasswordをMacと同期させてIDとパスワードをセーブしたり。isipをセットアップしてiPhone 3GiPhone 3GSともども、ひかり電話の端末として使えるようにしたり。

そんなこんなで3日間ぐらいいじり倒していました。体調がすぐれなくてもこういうことはできる(こういうことしかできない)のだから不思議です。

業というしかありません。

正月明けには Sheevaplug もやってくるようです(すでに日本の通関作業は終えています)。Ubuntu LinuxでOPEN VPNMySQLをビルドしたいです。

さすがに岩波書店からも12月末に催促されました。正月明けにはなんとかしなくちゃいけません。

3月までに書きあげなければいけない論文は少なく見積もって3本ありますが、それもなんとかしなくちゃいけません。

遊んでいるばあいではないのですが、年賀状を出した帰りにわざわざ遠くのサンクスまでいって、カルワザカードで20%割引のiTunesカードを6000円分買ってきてしまいました。

なんということでしょう。

そんなわけで、今年も相変わらずのペースで諸方面にご迷惑をおかけすることになると思いますが、できる範囲で頑張りますのでよろしくお願いいたします。

アフリカに行ってきました

金曜夜から熱も下がったので、土曜より予定通りアフリカ大分旅行を強行。うみたまごとアフリカンサファリに行く。

初日はうみたまご。大分空港でレンタカーを借りるが、雪のため高速道路は封鎖、チェーンを借りたほうがいいと言われ、唖然とする。九州なのに雪が降るのか。沖縄とは違うのだなあ。空港道路という高速道路が使えなかったものの、難なく別府市街のうみたまごに到着。

全国の水族館制覇を狙っている私たち親子としてはうみたまごは必ず行っておかなければならない重要拠点だったが、行ってみると予想以上にすばらしい。展示や水槽の配置がアーティスティックなのだ。キッズプレースという遊び場もあって娘は大喜び。

山道を縫って走り、久住連山にある、レゾネイトクラブくじゅうに向かう。

「馬小屋みたい」とは娘の感想だが、独立した部屋が扇状に広がり並んでいるので、ドアは馬小屋のように見える。

家族露天風呂の「稲星の湯」に入って楽しむ。ここはなかなかのもの。だが温泉としてはそれほどよいお湯ではない。

夜はメテオで豊後牛のローストビーフのコース。広さはファミレス並みで、スタッフも最近のファミレス並みの少なさだから、サービスは予想どおりの貧弱さ。ルイ・ロデレールのシャンパンがあったので頼んだが、テイスティングのとき以外は一度も注ぎ足しにこない。バターもパンも持ってくるのが遅い。味はまあまあだが、少なくともレストランでもう一度来ようとは思わない。

翌朝は大浴場の「紅殻之湯」に行って、赤いお湯を楽しむ。雪が舞っていて、チェーンを一度もつけたことがない身を不安が襲う。

インフルエンザA型に罹患する・十二月歌舞伎

水曜日の教授会のときにのどの痛みと咳がひどく、風邪かなと思っていたのだが、翌日起きてみると身体が妙にだるい。

歌舞伎を見に行かなければならなかったので、なんとか気力を振り絞り、這々の体で二時頃到着。「操り三番叟」「野崎村」は見逃し、「身替座禅」の途中から。「大江戸りびんぐでっど」は面白い。ゾンビたちは派遣社員ということになっているが、じつは外国人労働者のメタファーになっている。二重底の社会批判に宮藤官九郎の知性を感じる。祈祷師の唱える文句が「アジャラモクレン」だとか、落語好きにはたまらないくすぐりがはいっているし(「死神」をそのままとりいれるのはやり過ぎだと思うが)。

一緒にいったコーディさんとは今日で最後。お茶をしてしばしの別れを告げたあと、夜の部。「引窓」は三津五郎橋之助という安心して見ていられるかわりになんの新しさもないコンビなので、面白さはない。「雪傾城」は芝翫八十一歳お孫さんと一緒でご苦労様という以上のものではない。「野田版 鼠小僧」は興味深いが、自分の言いたいことが観客に伝わらないと思って書いているのがまるわかりで、なぜこんなふうに野田がなってしまったのか私にはよくわからない。詳しくは別エントリーで。

見ているうちにどんどん具合が悪くなってきて、帰りはよほど銀座からタクシーで帰ろうと思うが思い直し銀座線にのって荻窪まで行き、そこから中央線各停で帰る。

家に帰って熱を測ってみたら四〇度。これはインフルエンザ確定でしょう。

幸いにして、娘が処方され飲み残していたタミフルがあったので、一日分をまとめて飲む。

熱に浮かされ悪夢を見る。内容はよく覚えていないが、「何かを終わらせなくてはいけない」という強迫観念に取り憑かれていることだけは記憶に残る。

うむ、たしかにいろいろ片をつけなくてはいけないものがあるからな。締切とか締切とか締切とか。

翌金曜日、まだ熱が下がらないが病院へ行く。鼻の穴に長い綿棒状のものを突っ込まれて検査。A型だそうだ。え、ワクチンちゃんと接種しているのに。

関係各所にインフルエンザ罹患の知らせと濃厚接触者にたいしてご注意をメールで送付。

だが結局誰もかからなかった。教授会で隣に座っていた林さんも、教授会のあと長話をした遠藤さんも、コーディさんも、娘も妻も、みんなぴんぴんしている。誰かにうつしていたらどうしようと最初は本気で心配していたのだが、誰もかかっていないということを知るにつれ次第に不機嫌になる。ようするにこれは、私だけが免疫力が劇的に低下していた、ってことだよなあ。

情けない。が体力の低下には勝てず、一日寝る。